OUT IN JAPAN

あなたの輝く姿が、つぎの誰かの勇気となる。
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KEIKO HOTTA

堀田 敬子 (左)

54歳
会社員
広島県出身
レズビアン

#013 2017年12月撮影

自分のセクシャリティには中学生の頃から気付いていたように思う。
しかし私が10代の時にはマイナスの情報しかなく、成長するにつれ誰にも知られてはいけないとの思いが強くなった。20代、男性とも付き合ってみたが、まるで「彼女」という役割を演じているような感じだった。

このまま自分を隠して結婚する人生を選択するか悩み、30歳になるまでに生き方を定めなければと焦っていた。常に何かヒントを探してもがいていた。
そんなある日、雑誌のゲイ特集の中にレズビアンコミュニティを見つけ、自分に正直に生きようと決意し、大阪のコミュニティに参加した。そこで仲間と出会って元気とプライドをもらい、やっと自分のセクシャリティを認めることができた。
それから、姉や親しい友人達、職場でも解ってくれそうな人にはカミングアウトしてい
った。話す時はとても緊張したし驚かれたこともあったけど、だんだん慣れて最後は温かく受け入れてくれた。

40代始め、両親の介護のため、20年以上暮らした大阪から広島県の実家に帰った。田舎では都会と違い、結婚して子供がいるのが当然の雰囲気で、もう誰にもカミングアウトしようとせず10年以上が経った。同居するパートナーのことは友達と言っていた。
10年の間に父と母を看取り、葬儀では私が喪主を務めたが、集まってくれた親戚には彼女を友達として紹介した。側で一番支えてくれたパートナーなのに、周りの目を気にして、他人のようにふるまった。

もう嘘はつきたくない!!
そんな想いからこのOut in Japanに参加した。クローゼットにいることで、噓を重ねて
しまう。それを終わりにしたいと思った。
カミングアウトは人それぞれ、その人のタイミングがあると思う。私のタイミングは一
度は去っていったが、このプロジェクトのおかげでまたやってきた。とても感謝し、参加
できて光栄に思う。
あなたのタイミングが訪れた時、Out in Japan が少しでも勇気になればいいなと思う。

KAORI YASUI

安井 かおり (右)

42歳
会社員
広島県出身
レズビアン

#013 2017年12月撮影

私が、自分の事をレズビアンであるとはっきり自覚したのは30代になってからだった
。それまで、人を好きになるということが自分にはできないものとあきらめていた。

人付き合いも苦手で、いつも仮面を被っているような感じで、人のことを信じることが出来ずにいた。本当の自分を人に出せないのは小学生の頃いじめを受けた経験からか、他の理由かどうかは分からないが、幼いころから自分は人と違う、結婚はできない、と思っていた。家族の中で、結婚の話になり、急に泣き出し不審がられたこともあった。
33歳の時、現在のパートナーに出会い、初めて愛し愛されることを知った。そしてそ
の時、不謹慎なようだが「私も人並みに人を愛することができるんだ、この人と上手くいかなくなっても別の人を愛することができる。」と自信を持てた。それは、これからどうやって一人で生きていけばいいのか途方に暮れていた私にとって、とても大きなことだった。
パートナーと同居することにし、段階を踏みつつ、姉妹、母へカミングアウトをした。
反応は「そうじゃないかと思ってた。今までしんどかったね。」と、温かいものだった。
私にとって、母に認められたということがすごく安心できることで、それからは他の人にはカミングアウトしてないけれど、半分カミングアウトしているような気持で、落ち着いて暮らすことが出来た。
でもやはり、人との付き合いはパートナーの事を友人と嘘をついているので、深いものにはならない。そんな中、「Out in Japan」の事を知った。いろんな人たちのカミングアウトメッセージを読み、私もぜひ参加したいと思った。私だって嘘はつきたくないんだ、本当のことを話したいんだと心が揺さぶられるようだった。これから、少しずつ自分の心の扉を開いて人や物事に対していきたいと思う。