OUT IN JAPAN

あなたの輝く姿が、つぎの誰かの勇気となる。
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TOUJI MINOWA

箕輪 透士

33歳
コミュニティスペース運営
鹿児島県出身
FTM

#014 2018年4月撮影

4~5歳頃から女の子だということが嫌でした。近所の男の子とよく遊んでいて「自分もそのうち男の子になれるはず。」と漠然と思っていましたが、徐々に「男の子にはなれない。一生このままなんだ。」と感づいていきました。そんな幼い頃には、自ら命を絶つというような発想がなかったため「ゲームみたいにリセットボタンを押して、男の子に生まれ変わりたい。」といつもいつも思っていました。

「なんなのかわからないけど、自分は何か違う。自分には他の人たちのような幸せは一生ない気がする。人って何歳まで生きるんだろう?あと80年くらい、この状態で生きて行かないといけないのかな?」

そのように、途方もなく長い年月を思い、目の前が真っ暗になっていきました。この世にたった1人のような孤独感を感じていました。

カミングアウトをしたのは、高校生の頃です。インターネットで自分と同じような人たちがいるということを知り、飛び上がるほど嬉しく、とても安心したことを憶えています。その勢いで意気揚々と両親にカミングアウト。「将来、手術して戸籍も男に変えられるんだって!」とまで言ってしまった気がします。今思えば、なんてアホなカミングアウトだったんだろうと笑えてきます(笑)両親からは「そんな夢のようなことを言ってるんじゃない!頭おかしいんじゃないか!?」と罵倒されました。

両親に受け入れてもらうには、それから数年かかりましたが、その間に信頼できる友人や先生などにカミングアウトしていくと、誰1人として関係性が崩れることはありませんでした。これに関しては周りの環境に恵まれていたなあと感じています。

「男として生きていくことができる」その希望を持つことができてから、両親、学校、職場、彼女、彼女の両親など自分の周りの人たちにカミングアウトしてきましたが、自分の両親と彼女(現在の妻)の両親だけは最初「拒絶」がありました。しかし、そんな両親たちとも今では仲の良い親子になることができました。

「人は性別では見ない。最初は拒絶した人も、自分が人として誠実に生きている姿を見せていくことで自然と受け入れてくれるものだ。」と実感しています。

カミングアウトは自分だけがありのままに過ごすことができるだけではなく、社会的にもこれからの人たちが生きやすくなるためのアクションでもあると思っています。