OUT IN JAPAN

あなたの輝く姿が、つぎの誰かの勇気となる。
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Izumi Udagawa

宇田川 和泉

49歳
自由業
東京都出身
アロマンティック

数年前にアロマンティックという言葉を知って、あぁ、これなんだ、と腑に落ちた気がした。
今の私は、性的魅力を感じる人は、性別、ジェンダー、セクシュアリティ、人種に関係なく惹かれるけど誰とも付き合いたいとは思わない。
なぜ、今の私は、かというと、“セクシュアリティは人によって診断されるものではなく、あとで変えてもいい。最終決定でなくてもいい、ラベルを変える必要があれば変えればいい。セクシュアリティは気持ちの説明”と本に書いてあったから。
そして、セクシュアリティはグラデーションだから。やっとその意味がわかった。
お願いだから、「まだ本当の恋愛を知らないから」とか「特別な人に出逢えば変わる」とか「オレが救ってやる」とかバカなことを言わないで欲しい。ないものを証明することはできない。
“セクシュアリティについて弁解しなくてはならないわけではない。自分の気持ちを証明する必要もない。気持ちをうまく説明できなくても、周囲の批判が正しいかもしれないと思わなくていい” 本の言葉に救われた。
No need to explain myself to others. I owe no one any explanation of who I am.
アロマンティックはただのフェーズとして捉えられがちだし、当事者でも気づきにくいと感じてる。
それは俗に言う”特別な存在” “THE one”にまだ出逢ってないからだと周りから言われてたし、なんなら自分でもそう信じていた。誰しもが恋愛したいと願って当然という恋愛至上主義社会がアロマンティックの存在を認めさせてくれなかった。
自認してわかったのは、本当に恋愛感情が昔から欠損していたってこと。付き合っていれば、Sexしていれば、いつか恋愛感情がついてくると思っていたけどいつまでたってもついてきやしなかった。
私は中高生の頃からSensual(官能的)なものが好きだった。R&Bや、山田詠美の世界観や、官能小説や映画、ヌード写真…
そういうものに興味があるということは、恋愛にも興味があることだと思い込んでいた。だから、50近くになるまで、自分に恋愛感情が存在しないことに気づけなかったのかもしれない。今ならわかる、性的魅力を感じることと恋愛感情を持つことは違う。そして、感情と行為は別ものだ。恋愛感情がない=愛情がない わけではない、私にもちゃんと愛がある。
私はもう無理して誰かを好きになろうとしなくていい。パートナーを作ろうとしなくていい。ずっとひとりでいていい。
恋愛感情がなくても、私が欠損しているわけではない。私はすでにwholeな存在だ。Thank goddess for letting me be myself