OUT IN JAPAN

あなたの輝く姿が、つぎの誰かの勇気となる。
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RYOTO TAKUSHI

澤岻 良心

38歳
会社経営
沖縄県出身
FTM

#019 2019年8月撮影

2008年、沖縄県で初めて顔と本名をカミングアウトした
トランスジェンダーとなりました。

当時の沖縄にはロールモデルとなる人もいない、情報もない、
ホルモン注射ができる医療機関もないという状況だったので、

僕のあとに続く当事者たちに道を創るんだ!

という気持ちで、新聞・テレビなどのメディアや講演会で話をさせてもらう活動がスタート

今でも過去を振り返ると
「この11年、頑張ってきたな」と胸が熱くなります。

僕は、現在38歳で大好きな地元沖縄で
大好きなパートナーと娘と一緒に
心から幸せだと思える自分の人生を生きています。

でも、僕は生まれた時は「女の子」でした。

ずっと、自分は男の子だと思っていたのに身体が違うし、
男になりたいと言ったら「そんなの変だよ」って言われる。

テレビを見ても、
ニューハーフやオカマは笑い者にされている。

女の子の身体の自分が男の子になりたいって言うのは変なことなんだ、笑われることなんだって思いました。

そして、

「どうして自分は生まれてきたんだろう?」
「自分は何者なんだろう?」
「生きていていいのかな?」

自分を否定する問いかけばかりして
家族や友達をだましているような罪悪感があってずっと苦しかった

なによりも、自分を愛してくれる人はいないんじゃないかって
悲しかったし寂しかった。

でも、父が6歳で亡くなってから
少しづつ、その問いかけが変わってきたんです。

「自分は本当は、どう生きたい?」って。

それから、たくさんの本を読んだり
人に会いに行ったりしていくうちに

「もしかしたら、自分でもこの人達のように輝いて生きられるかもしれない。」

「自分を好きになれるかもしれない。」

本当に小さな勇気を
少しづつ少しづつ振り絞って

「今までは、他人の目から見た人生を歩んでいたけど、
自分の人生を輝いて生きていいんだ。」

と思えるようになりました。

物心ついた4歳の頃から
墓場まで持っていく秘密だと思っていた

「身体は女だけど、心は男」としての自分。

その4歳の頃から 23年の歳月をかけて

自分を許し、認め、受け入れ、
そして愛することを知りました。

これまで、たくさんの人にカミングアウトしてきたけど、
今でも僕が勇気を与えたいのは

未来に希望を持てず、ずっと一人で生きていくんだって
家族や友達がいても孤独を感じていた中学生の頃の自分。

講演会で話をするときは、その中学生の自分が会場にいると思って
心の中で語りかける言葉があります。

「お前の未来は輝いているぞ!」

「大好きな人と自分らしく生きているよ!」

「生き続けてくれて、ありがとう!!!」って。

だから、僕は誰よりも未来が輝いていることを信じているし、
誰もが自分らしく輝いて生きられるって信じています。