Hideki Sasaki
佐々木 秀樹
33歳 |
バーの店主(新千鳥街ドンぱん) |
秋田県出身 |
ゲイ |
#006 2015年12月撮影
“僕は幼稚園の頃から男の子が好きでした。
でも、それがどんな好意だったのかは
今でもわかりません。
性的なのか恋愛的なのか、尊敬なのか。
初めてカミングアウトしたのは
中学2年生のころ。
カミグアウトって言ってもネットで知り合った人に、
「僕、男の人のも興味があって」的な話で。
そしたらその人がこっちのコミュニティを紹介してくれて、
そこから世界が広がっていきました。
僕の世界のきっかけはカミングアウト。
自分の意志で、この人に話したいって思ってするなら、
その勇気も意思も、自分の力になるんだろうなって。
友人や姉にはそういうカミングアウトだったから。
でも、そんなカミングアウトばっかじゃなかった。
両親には、バレた。
だから強制カミングアウト。
うちに遊びに来た母が、3日間泊まる予定が1日で帰ると言い出した。
何事かと思ったけど、姉から電話が来て言われた。
「あんたお母さんに何見せたの?なんか寝れなくなってるらしくて、
ずっと、手紙が、、、手紙がね、、ってしか言わないで泣くんだって」って。
どうやら当時付き合ってた人からもらった手紙を読まれてしまったらしい。
母親は親辞めるって、3日間不眠症になったって。
電話先で何を話していいのかわからないのが伝わってきてたっけ。
僕にはカミングアウトにも心の準備がいる。
高所から後ろ向きバンジーで飛ぶくらいの決心が。
準備もなにもできてない状態、さらに親をやめるって。
家族が居なくなる覚悟もしちゃったよね。
僕は月一電話して母親の状況を本人に聞いてた。
口数は電話をするたびに増えていくのを感じた。
でもやっぱり受け入れれないって。
「他の子がそうだったら、きっと応援できたし、受け入れることができた。」
そんな話もした。
胸が苦しくなるほど悩んだし、
悲しんだ。
でも、後悔はしてなかった。
さらに月日がたった。
そしたら変化が出てきた。
親を辞めるのはやめにしたって、
母親を休むって。
なんだか安心したけど、
何を言ってるんだこの人はっても思った。
よくよく聞くと、家庭の事情に疲れたみたい。
あれ?俺関係なくなってない?って思ってたら
そうでもない。
「やっぱりさ、お腹痛めて生んだあなたを息子じゃないって思うのは無理だったわ。」
って、何がきっかけで、何を考えてくれて、何を思ってくれたのかはわからなかったけど。
心から感謝したのは覚えてる。
母親はこのことを墓場までもってくって言ってた、
父になんか絶対言えないって、兄にも。
その電話きったその日に母が父に言ったらしい。。。!
正直焦った。
そこが墓場だったのか定かではないが、
父は無言だったらしい。
両親にバレてどれくらい経ったか覚えてないけど、
今は自分のやっているお店の事や自分自身へのサポートを全力でしてくれている。
なんなら、ゲイバーって認識したうえで、
両親と姉が遊びにも来てくれた。
姉は一日スタッフとして働いてくれた。
カミングアウト。
今なら強制でもして良かったって
心底思っている。
特に父と母と姉弟には。
でも、こんな体験はお勧めはできない。
それでもカミングアウトしたいって勇気を出す人へ、
僕は心からエールを送りたい。”