Makoto Sekido
関戸 真人
38歳 |
無職(空間デザイナーの求職中) |
埼玉県出身 |
ゲイ |
#006 2015年12月撮影
8年前に父、母が他界した。
カミングアウトはできなかった。
その後、ちょっとしたことから兄弟にカミングアウトした。
「別に普通なことでは?」「好きな様に生きたらいいよ」と言われ、
ホッとしたのを覚えている。その後パレードに参加した。
「自分らしく生きていいんだ」と素直に思えた瞬間だった。しかし、次第にストレスが溜まる様になった。
会う人会う人みんなにカミングアウトしても、「別にいいじゃん」
と言われても苛立ちが募った。
「日本でも同性婚を」「パートナーシップ法は素晴らしい」という
情報にも同様に苛立ちを感じた。
何故そう感じてしまうのか、と考えた結果、気づいた。
私自身が、「ゲイ」に非常に強い「嫌悪感」を抱いている。
「汚らわしさ」と言っていいかもしれない。
「美しい」ものが大好きだ。
美しい絵画を眺め、美しい音楽を聴き、美しい食べ物を食べる。
「美しく」自分を撮ってもらいたかったから、この撮影に参加した。
それは全て、自身が「汚れている」と感じる
ことからの反動なのかもしれない。
しかし、最近その「汚らわしさ」を感じる根本の原因が見えてきた。
希望が、見えてきた。
自分で自分を肯定できれば、本当の意味で自分らしく生きられると思う。
私みたいに思っている人、以外といるんじゃないかな?
「私たち」も「そうじゃない人たち」も。
そんな風に、「自分が自分らしくいられる」空間を作る仕事をしたくて、
今就職活動中だ。
「私たち」を認めてもらう活動を、表立ってしている人達は本当に、
勇敢で、素敵だなと思う。
でももう少しゆっくりと、自分自身の奥底にある「何か」と向き合って、一人一人が「自分らしくいれる」事を意識すれば、もっと素敵なんじゃじゃないかな?と思う。
これは「主張」ではなく、私の素直な気持ちです。
見ている「誰か」に、伝わればいいな。