OUT IN JAPAN

あなたの輝く姿が、つぎの誰かの勇気となる。
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Ioana Fotache

フォタケ イワナ

25歳
大学院生
ルーマニア出身
FTX / パンセクシュアル

#008 2016年3月撮影

ボーイッシュガール。
この言葉は自分の国には存在しない。
中学生のとき、インターネットで「Tomboy」という言葉と出会って、ほっとした。
道端で「君は男なのか、女なのか?」と不躾に聞いてくる人に言い返す言葉をようやく手に入れたからだ。
24歳となった自分は日本で、Xジェンダーという言葉を耳にした。
その時、固く絡まり合っていた「?」が、するするとほどけていった。

この話は、自分だけの話ではない。保守的の国の価値観の中に溺れてしまわないように勇気づけてくれていた仲間たちの話だ。

同性愛が法律上正当とされた2001年、自分が11歳だった。

Gay という言葉を初めて自分の国で目にしたのはどこでたったのか、と問われてはっきりと思い出せるのは、
道に貼られたゲイを反対するポスターだ。
「我が国にゲイはいらない」
そのポスターは2人の棒人間がアナルセックスをする姿を描き、そこに赤い「☓」をつけられていた。
それは、2005年のことだった。
初めてゲイ・パレードが行なわれた年だ。
参加した人たちは叩きのめされ、強い非難の声を浴びていた。

はじめてゲイ・パレードに参加したのは2009年のことだった。
怖かった。
けれど同時に、
誇らしかった。

2014年、「これはセクマイの自分だ」というキャンペーンのもと、友人の顔写真を地下鉄の駅の壁に貼っていった。
その後、彼が見つけたのは通りすがりの人々の唾にまみれた自分たちの写真だった。
明くる日、彼が駅へ行き、
「なにか文句があるんだったら、直接話してくれ」と声をあげた。
彼の勇気に自分は強い感銘を受けた。

自分も、自分が自分であることに誇りを持ちたい。
日本には多くの方々がセクマイの権利のために闘っている。
自分は、この瞬間(とき)・この環境(ばしょ)を無駄にすることなく、この経験を通して学びたいのだ。
いまの自分が手にしている勇気を持って自分の国でも闘い続けたい。それはクロゼットから出来ないことだ。

共に、闘おう。