YUKO FUKUSHIMA
福島 優子
28歳 |
イラストレーター |
埼玉県出身 |
Aセクシュアル |
#008 2016年3月撮影
Aセクシュアルとは、恒常的に他者に性的欲求を持たない人たちのことを言います。禁欲からでもなく、身体機能の不調からでもなく、本質として感じることがないのです。
たまに嘘や思い込みを言っているのかと疑われることもあります。「そのうちよくなるよ」とまるで長期の闘病生活を送っている患者のように励まされたりもします。こうした誤解が少なからずあるのは、Aセクシュアルが何なのか想像し難いからかも知れません。
だから今日はちょっとだけ、私の話をさせてください。
私は幼い頃、ディズニー映画のプリンセスや少女漫画のヒロインに憧れていました。彼女たちのような輝いた生活を送るには、誰かと恋愛をすることが前提条件だと思い込んでいました。
最初はただ彼女たちみたいになりたくて、一緒に遊びたいだけの子に対してラブレターを書いたり、仲の良い男の子を「好きな人」ということにして恋愛の話に参加したりもしました。
そのこと違和感を感じたのは中学生の頃でした。周囲が当たり前のように性を意識しだしたのを観察する中で、恋愛とは結局何であるかを知り、私がこれまでやったことは単なるまねごとだったと気づき、恥ずかしくなりました。
誰とも恋愛をしないまま成人して数年経ったある日、偶然にAセクシュアルについての記事を見つけました。もしかしたら自分はAセクシュアルなのではないかと思いはじめたのはその頃です。
「単に今まで出会いがなかっただけだよ」「自分で決めつける前に、実際に試してごらん」「まだ、君に未熟な部分があるからだよ」
今から思えば、これらは全部、Aセクシュアルの人が受ける誤ったアドバイスですが、自分の信頼していた人たちから言われたこともあり、当時の私は真剣に受け止めてしまいました。
それまで、男性女性関係なく、気が合う人たちと自分が心地良い距離で人間関係を築いていきたいと考えていましたが、「おくれている子」から「自立した大人」になるためにはその考えから脱却しなければならない、自分を変える努力をしなければ、と自分に言い聞かせました。
それからしばらく経ってから、ずっと一緒にいたいと思える奇跡のような人と出会いました。それがたまたま男性だったため、パートナーという形に落ち着いたのですが、それ以来頻繁に衝突するようになりました。
ある日彼に「君ほど冷たい人間に会ったことはない」と言われたとき、衝撃を受けました。私はこれまでできる限り、尊敬や慈しみ、助け合いという形で、彼に愛情を注いできたつもりだったからです。しかし彼の言う愛情は、恋人のような態度と身体の結びつきを意味していました。愛情表現の認識の違いという結論に至るまで、とても長い時間を費やしました。それだけではなく、彼の言う性的な性質を持つ「愛」を感覚的・非言語的に理解し与えることは、私にとって非常に困難です。できたとしても、幼い頃にしたようなまねごとを超えることはまずないでしょう。
これはとても歯がゆいことです。私は彼を一人の人間として、とても大切に思っているのですから。何度も、私なんて消えてしまえばいいと思いました。
この状況に対する解決策を探す過程で、AVEN(Asexual Visibility and Education Networkの略)というAセクシュアルのコミュニティを訪れました。そこで自分と同じAセクシュアルの人々と話し合っていく中で、どうしてもっと前から自分の心にまっすぐ向き合ってこなかったのだろうと後悔しました。自分以外の何かになろうとすることは、自分も他人も傷つけるのだと思い知りました。それと同時に、私も私なりの形で人々と愛情を分かちあうことはできるということも学びました。
私の今の目標は、自分らしく生きることで誰かを勇気づけることです。自分が表現したものや、より強く美しくあろうとする姿勢によって誰かの支えになるのであれば、私はとっても幸せです。