Fumi Tamura
田村 文 (右)
48歳 |
整体師 |
福岡県 |
FTX / 女性が好き |
#004 2015年11月撮影
カミングアウトは、人それぞれが置かれている状況で「するか」「しないか」を決めれば良いと思っている。
何よりも、本人にとって生きて行きやすい環境になれば良いであろう。
他人が理解してくれるかどうかは関係ない。
素のままの自分、見たままの自分、セクシャリティーを含めた全てが自分なのだ。
私はセクシャルマイノリティーで良かったと思っている
もし、そうでなかったらこんなに人生について考える事はなかっただろう。
母にはカミングアウトをした。父にはしていない。
友人達にはごく一部の人にだけしている。
今回のプロジェクトに参加した事で、私の事を知っている人に知られてしまうかもしれない。
私自身はそれで良いと思っている。
人に責められるような事はしていないし、何よりも「自分の人生」を歩んでいるのだから。
だから胸を張って自信を持って生きて行く。
カミングアウトを考えている皆様へ。
私達は生まれた時からマイノリティーです。
今までそれを一生懸命考えて、一生懸命生きてきたと思います。
私達は何も悪い事はしていません。
だからコソコソする事もありません。
仲間で手を取り合って生きて行きましょう。
決して独りではありません
こんなに沢山の仲間がいるのですよ。
Yoshihiro Tamura
田村 佳弘 (左)
48歳 |
自営業(彫金師) |
東京都 |
FTM / バイセクシャル |
#004 2015年11月撮影
カミングアウトを絶対にするべき!とは言いません。
個人の考え方次第です。
しかしカミングアウトした方が自分らしく生きられると思っています。
ここに私のカミングアウト経験を書きます。
これからカミングアウトをする方、悩んでいらっしゃる方の参考になれば…と思います。
私はバイセクシャル。
そして女性から男性へなり、今は男性として生活している。
友人にカミングアウトしたのは中学生の時。
好きな女性が出来て友人に相談したのが始まりだった。
その後はカミングアウトをするのが自分にとっては自然の事になってしまった。
性格的に自分の気持ちを心に押し込めているのが苦手な私にとって、周囲に黙っているのは苦痛だったので、ある意味「当たり前」の事になっていったのであった。
しかし、自分の心が「男性である」とはどうしても言えなかった。
当時はまだインターネットなどはなく、さらに男性・女性共に好きになってしまう自分が「何者なのか?」が全く分からなかったからだ。
男性・女性の何人かと付き合っていった。
自分が「何者か?」を知りたかった。
そうして月日は流れていく内に、段々自分の事が分かっていった。
両親へ「好きな女性と一緒になりたい」とカミングアウトしたのは27歳の時。
女性と養子縁組をするために両親に話したのだった。
両親は薄々気づいていたからか意外とあっさり認めてくれた。
しかし、この時もまだ自分が「自分の心が男性である」とは伝えられなかった。
私は「女性として生きる」選択をした。
男性として生きたい、女性として生きて行くのに限界を感じたのは30歳の時。
先にカミングアウトはせず、病院へ行き男性ホルモンの注射を始めた。
その後すぐに両親へカミングアウトした。
すると、やはり両親は驚く事なく私の生き方を認めてくれた。
友人達にも少しずつカミングアウトし始めた。
中には去っていく人もいた。
「女性のあなたが好きだから」という言葉を残して…。
見た目が完全に男性化した今でも私はカミングアウトしている。
よく「わざわざ言わなくてもいいのに。言わなければ絶対に分からないのに」と言われる。
でも、私はカミングアウトをし続ける。
なぜなら女性として生きた30年を捨て去る事が出来ないからだ。
様々な考え方があるだろう。
何が「正解」かなんて私には分からない。
私は自分らしく生きるためにカミングアウトしてきた。
その方が肩に力が入る事なく生きて行けるのだ。
だから私は今後もカミングアウトして行く。