Mayu Aoyama
青山 真侑 (左)
42歳 |
会社員 |
神奈川県出身 |
レズビアン |
#002 2015年8月撮影
10代のはじめから20代のほとんどを、わたしは自分のセクシャリティをかくさずに生きていました。ですが、20代後半のあるとき「自分の全霊を仕事にささげよう。ここが正念場だ」と思うタイミングがあり、それ以降、「セクシャリティについて、あえては人に言わない」という方針で、今日ここまでやってきました。わたしにとって、仕事のほうがプライオリティが高かったんです。
気がつけば40歳を超え、パートナーともいっしょに暮らして17年となり、セクシャリティをどう称するかは、あまりどうでもいいことのように感じています。だって、いまのわたしの自認は「同性のパートナーと2人で親をやっている“お母ちゃん”で、“しゃかりきビジネスウーマン”」という感じなんですもの。
でも、だからといって、セクシャリティを曖昧にしていると「あなたってシングルマザーなんでしょ。たいへんだね」と言われて、はんなりと居心地のわるい気分になります。
自分がなにものなのかを明確にせずに生きるのは、不安は少ないけれど、どこかしんどい。それはまるで、サイズの合わない靴を履きつづけているみたいに。
そんなわけで、今回、顔を出してみることにしました。もう一度、若いころのように、ありのままの自分で生きてみようかと思います。
わたしのことを知っている方は「あー、やっぱりそうだったんだ」と思うでしょうか。そうだったんです。今日まで言いそびれていて、すみません。
でもね、わたしはわたし。あなたが知っているとおりのわたしです。モンスターが正体を隠していたわけでもなければ、あやしい裏の顔があるわけでもない。キラキラもしてない、めずらしくもない、仕事と家族が大好きな、ごくふつうの40代です。
これからも変わらず、おなじ世界の遠く近くで、ともに暮らしていきましょうね。
LOVE & PEACE!
Hiromi Otsuki
大槻 裕美 (右)
51歳 |
会社員 |
東京都出身 |
レズビアン |
#002 2015年8月撮影
同性のパートナーと一緒に、子供を育てています。育児は予想外にたいへんでしたが、それを超える楽しみを連れてきました。と同時に、親である私に、日々変革を迫ってきます。
1年と少し前、私は病気休職に入りました。子供が生まれて以降、パートナーの産んだ子供との法的関係が認められていない私は、育児とと仕事のやりくりに苦労がありました。育児を理由に仕事の軽減を願い出るのは憚られ、育児短時間勤務も使えません。無理を重ねていたところに父親が倒れ、とうとうキャパシティを超えてしまったのです。
現在は復職訓練に通う毎日ですが、私はこの中で、あるトライをしてみました。自分の日常をありのままに話すことです。折しも渋谷区の条例がニュースになっていた時期で、ずいぶん説明が楽でした。
さて、復職訓練先での現在の生活は夢のように快適です。まず、LGBTネタで不快なジョークを言われることは皆無。「旦那さんは……」とヘテロ前提でされる質問もありません。子供を持つお父さんと育児話もできます。
今では、異性婚をしている人が「うちのパートナー」と話したり、「大槻さんの相方さんは……」と話しかけたりしてくれます。それらの小さな言葉が、私の心に温かい自信を積んでくれます。目の前の人たちがアライになっていくのを間近に見る毎日です。
会社や地域といった場所で自分を開いていけば、受け入れられない人に会うことも当然あるでしょう。ですがそれは「世の中にはいろいろな人がいて、すぐに受け入れられる人、時間がかかる人、受け入れられない人が混ざりあっている」という普遍的な事実にすぎないと、今なら穏やかに受け止められそうです。
カミングアウトしやすい環境と行為そのものは卵と鶏で、どちらが先かはわかりません。でも、温かいオムレツを食べるためには卵の殻を割ってみること。カミングアウトはその一歩です。