OUT IN JAPAN

あなたの輝く姿が、つぎの誰かの勇気となる。
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Riena Kobayashi

小林 莉恵夏

34歳
愛知県出身
MTF

#007 2016年2月撮影

私は、小学生高学年~中学生のころから性別の違和を感じました。本来は男子の制服を着て通学するのが嫌でたまりませんでした。ちょうどその頃から理由もわからなくいじめにあいました。性別違和を抱いたまま高校まで卒業。高校卒業後に最初の夢であったスイミングインストラクターのアルバイトに就き男性として6年勤務したけど性別違和は消えませんでした。この頃から自分が性同一性障害ではないかと思い性同一性障害に関する本を何冊か読みまして自分も一致していると思いました。

その後、プールの監視員のアルバイトに就いてそこでも性別違和を抱き、なんで普通に女性としてプールとかトイレを使えないのかと疑問も抱き、我慢できずに勤務する時間も徐々に減っていきました。

 アルバイトのかけもちでゲームセンターでのバイトも就きました。その時の制服は男女共通の制服だったので長年勤務することができました。その後、アルバイト先で増築するという話があり、同時に制服も男女分けるとなったのであまりにも我慢できず退職しました。その後、雑貨屋のスタッフや工場の受入作業員、パチンコ台の製造作業員として勤務しましたが周囲のスピードについていけず短期間で退職しては入社を繰り返しました。職を転々としている期間にハローワークの講習を受け、初めてそこで公でカミングアウトして安城での相談員と知り合いそこで初めて通名を使いしっかりサポートもしてくれました。たまたまいい相談員と出会い理解もしてくれてよかったです。

現在は社会福祉協議会の方と安城の相談員との協力もあって両親も少しずつではありますが良き理解者となっております。それとは別に相談員の方が発達障害もあるではないかと思って精神科に受診して医師から精神障害者2級相当ではないかと言われ申請中です。

 今後、カミングアウトする方に現状、社会が容認に動いているので友人・知人・SNSでもいいので勇気を出してカミングアウトし、相談員を間に入れて第3者から両親にカミングアウトしてみるのもいいかと思います。