OUT IN JAPAN

あなたの輝く姿が、つぎの誰かの勇気となる。
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HARUTO TAGAMI

田上 遥翔

23歳
介護士
愛知県出身
FTM/パンセクシュアル

#017 2019年4月撮影

はじめて、性別に違和感を感じた小学一年。
その頃は、男女差がなく毎日が楽しかった。

5年生の林間合宿の際、女生徒だけに月経の話があった。その時に僕は自分の体が女性になっていく現実を突き付けられ絶望した。

そんな僕でも中学の時、僕を理解してくれる彼女ができた。
だけれど一緒に喜んでくれる友人はいなかった。
僕に待っていたのは好奇の目線だった。
「気持ち悪い」「レズ?」「オナベ」
そんな言葉や冷たい目線が毎日続いた。

家族にも言えず、学校にも居場所が無く毎日が死にたかった。

そんな僕がカミングアウトしたのは18歳の時。
高校の時の友は皆受け入れてくれました。しかし、父親から「お前みたいな化け物に育てた覚えはい。お前を殺して俺も死んでやる。」と言葉を投げられました。

父親は勘当し母親は泣いていて…。
母親は寝れなくなった。後から聞くと夜に父親が僕を殺さないか不安で包丁を隠したとも聞いた。

家族を壊してしまったと自分を何度も責めた。

そんな中、父親に癌が見つかった。病室で父親が「俺の人生こんなものか…」と。
その言葉に対し母親が「あなたは子供にも恵まれて楽しく毎日過ごせていたよね?だけどあの子はどう?今のまま辛い思いをしながら毎日を過ごしていて楽しいと思う?私は遥翔が男の子になろうがどんな人生送ろうがあの子の母親でありたい。お父さんはどうなの?」と問いかけたみたいです。父親は「そうだよな…」と一言。

4年弱時間はかかったけれど父親は僕を受け入れてくれ、今では「はると!」と改名した名前で呼んでくれています。

カミングアウトは絶対ではない。自分が生きやすく、幸せになる方を選択してください。
自分を責めるのではなくまずは自分自身を愛してあげてください。

あなたは1人じゃないよ。