OUT IN JAPAN

あなたの輝く姿が、つぎの誰かの勇気となる。
main-image

Yuji Kitamaru

北丸 雄二

59歳
ジャーナリスト
北海道出身
ゲイ

#001 2015年3月撮影

カミングアウトで困ることは、「私はゲイです」と言うのと「きみはゲイなの?」と言われるときとで「ゲイ」という言葉の意味が往々にして違っていることです。同じ「ゲイ」という言葉を使っているのに違うことを言っている。そのとき、言葉は通じていません。カミングアウトを通じて私たちはコミュニケーションを欲しているのに、最初にこうしてディスコミュニケーションを経験してしまうわけです。

カミングアウトの困難はそこにあります。LGBTIQは「性的少数者」として一括りにされることも多くて、そこに「性的」と付くことであたかもすべては「性行為」関連の問題と捉えられがちです。「性」という言葉は本来は性別やジェンダーや恋愛までをも含む、人間の生き方にとってとても大切で包括的な概念なのですが、日本語ではそれは単純に「セックス=性交」という意味に引っ張られてしまうようです。なのでいきおい、性的少数者となると「一般的ではないセックスをしている人たち」と受け取られる傾向がある。すると「え? どんなセックス?」「それってヘンタイ的?」という下世話な話になるのです。

「私はゲイです」という宣言が「私はヘンタイです」という意味にズレてしまう。「なぜそんなことをわざわざ公表するのか?」という話になってしまう。単に顔を顰められて終わり、ってことさえある──それはどうしたらよいのでしょう?

その解決策はじつはカミングアウトにしかありません。カミングアウトとは、社会に蔓延するそうした誤情報をどんどんアップデートして実態に近づかせる修正作業でもあるのです。自分自身が一つの丸ごとの情報となり、証拠となり、身を挺してディスコミュニケーションを解決する。べつに意識する必要はないけれど、それ以外にはこの社会が真っ当になる方法のないような、そんな大義も兼ね備えている。

カミングアウトとは、自分が、自分自身の証拠になることなのです。