OUT IN JAPAN

あなたの輝く姿が、つぎの誰かの勇気となる。
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Yuzuru Ikushima

生島 嗣

56歳
NPO法人ぷれいす東京代表
神奈川県出身
ゲイ

#001 2015年3月撮影

両親にゲイだとカミングアウトしたのは、30代後半に入ってからのことでした。
ゲイでキリスト教徒であることに罪悪感を感じ続けていた僕は、とあるきっかけで参加したエイズのボランティア団体で、ゲイであっても社会貢献ができると実感できるようになり、ようやく自己肯定ができかけている時でした。

あるボランティア仲間のキリスト教徒の女性に、自分がゲイでキリスト教徒であることをカミングアウトしました。彼女は、そのままの僕を無批判に受け入れてくれました。これが最初の成功体験でした。

次にどうして自分がHIV/エイズの活動にのめり込んでいるのかを、尊敬する父親にも知って欲しいと、実家に出かけていきました。

僕は勇気を振り絞り、牧師である父にその事実を伝えました。しかし、父の反応は、僕にとっては、拒絶でした。僕の期待は裏切られてしまったのです。それからの数年、父と僕の間には、断絶がありました。

そして、数年後、再び父と話し合おうと電話をかけました。電話をかける前には、親子の縁を切られてもじぶんは屈しないという気持ちでいました。彼の言葉は、僕の予想を越えたものでした。

「きみがゲイである部分があるからこそ、辛い思いをしている人たちの事が理解できるのだね。いい活動をしていると聞いているよ。」といいました。

その時に僕は気づきました。拒絶された、差別されたと自分の痛みにばかり目がいっていたけれども、自分の息子を宗教上の理由から拒絶しなければならなかった父も、この数年ずーっと悩んで考え続けていたのだと。

ここから、僕と両親との歩み寄りは始まりました。当時つきあっていた彼氏を家につれていき、両親はとても歓迎してくれました。今も、両親は僕の幸せを願ってくれています。いつまでもふらふらしないで、今の彼氏を大切にしろ。けじめをつけろが、両親から僕へのメッセージです。これって、多くの親が子供に感じる感情なのではないでしょうか。