OUT IN JAPAN

あなたの輝く姿が、つぎの誰かの勇気となる。
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HISANORI TAMURA

田村 尚徳

32歳
映画プロデューサー
タイ バンコク出身
ゲイ

#015 2018年5月撮影

14歳の頃のある夜、食卓で親と口喧嘩をした時の事だった。「色々と不自由もないんだから幸せじゃないか」と父親がいい、「幸せじゃないよっ!」って答えた。「どうしてだ!」って言われてすぐ、トイレに逃げ込んで泣いた。
僕は、父親が同性愛者に対して嫌悪感を抱いていた事をよく知っていた。なぜならテレビで同性愛者が出演するシーンが現れた時や、会話の中で同性愛がテーマになる度に顔をしかめ、「気持ち悪いねー」と言葉を吐くからである。
母親が後からついてきた。トイレで閉じこもってた自分に「どうしたの?」と言われ、しばらく考え込んでからトイレの扉を開け、母親の前に出た。考えた理由はカミングアウトするか否か考えたからである。

しばらく俯き、「もし時間を置いて、後でカミングアウトをすればきっと後悔する。未成年である限り、法的に成人になるまで親の元にいなければならないからきっと家から追い出す事はできないだろう。」と思い、母親に「僕、男の子が好きなの。ゲイだと思う。」と言った。
母親は少し沈黙してから、「9ヶ月も私のお腹の中にいたんだから、知ってたわよ。」と言われた。そしてその後、食卓に戻り、父親にカミングアウトした。母親はタイ人でもあり、レディーボーイに幼き頃から慣れているので、同性愛を受け入れていた。その反面、伝統的な父親はショックで言葉を失い、数時間家を出ていってしまった。

その後、4年ぐらい父親と「冷戦」状態になったのだが徐々に慣れたのか、18年後の今では「いつになったら(男と)結婚するんだ?いつになったら子供を作るんだ?養子を迎えればいいじゃないか。」と言うようになった。

若き頃はホモフォビアの被害者でもあったし、いじめにもあった。32歳近くなった今、カミングアウトしてから18年も経ち、若干長い道のりではあったが、今では家族、仕事だけではなく、公共の場でもゲイだという事を隠さない。無論、「ゲイである」という紙を額には載せないが、聞かれれば「ゲイだ」と自信満々に言える。

昔は「ノンケに生まれてくれば楽だったのに」や「女だったら生活が楽になっていたかもしれないのに」など考えてはいたが、今は自分がゲイである事を誇りに思う。ゲイである事を言って自分から離れる人が出るのであれば、離れればいい。それぐらいの人にしか過ぎなかったのだから。

苦難は続くと思うかもしれないが、続くものではない。状況は改善するものである。だから、自分らしく生き、後悔のない、自分を誇りに思える人生を送ればいい。