OUT IN JAPAN

あなたの輝く姿が、つぎの誰かの勇気となる。
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TADAHIRO MASUDA

増田 忠広 (左)

57歳
パタンナー
東京都出身
ゲイ

#015 2018年5月撮影

当方57歳ドイツ在、私のカミングアウトは18年前相方と帰国した時、姉と従妹と4人で食事に行った時でした。7つ違いの姉から私に彼女がいるのかと質問され、私は自然に隣にいた相方を指してこの人と言ったのです。姉も従妹もたぶん自然に受け止めてくれていたかと思います。それからは現在に至っても姉妹って感じでいろいろと会話をしております。他界して両親には残念ながらカミングアウトはしていなかったのですが多分母は私がゲイだとわかっていたのか彼女がいるかとか結婚について聞かれた事はほぼありません。私が19か20歳ぐらいの時私の布団の下に隠していて薔薇族を母に見つかった事件でも、母は私に何も言わなかった事は驚きです。まあ、ショックだったかもしれませんが。それが母に対する無言のカミングアウトだったかもしれません。

次の誰かの勇気あるカミングアウトにエ-ルを送るメッセージなのですが、すべての当事者が将来普通にカミングアウトできる世の中になっている事を願うのですが、現在他の人にカミングアウトするいい状況であればいいのですが、特に親にカミングアウトはその親達の性格をみて判断すればいいかと思います。親によっては完全拒絶してしまう可能性もあるので、よく考えた上、カミングアウトをしていただきたいと思います。友達関係に対するカミングアウトは勇気をもって素直に打ち明けてもいいかと思います。友達って人間同士の付き合いなので相手側も私達側が当事者であろうとノンケだろうとTGBTIであろうと関係がないかと思うので、それを受け入れてくれるのが友達であるかとも思います。

ERTNER WERNER

エァトナ一 ベァナ一 (右)

56歳
会社員
ドイツ ハノーファー出身
ゲイ

#015 2018年5月撮影

When I was 19 years old, I wanted to lead a self-determined life. I was afraid to tell someone I’m gay. But after I lived in my own apartment, I said to my mother, I’m gay. She understood it very positively and said to me that she had always guessed something like that.
I still find it very important to be coming out to the people who are important in life and that is the family. And we’re all a big family.

Als ich 19 Jahre alt geworden bin, wollte ich ein selbstbestimmtes Leben führen. Ich hatte Angst jemand zu sagen ich bin Schwul. Aber nachdem ich in meiner eigenen Wohnung lebte, sagte ich zu meiner Mutter, ich bin Schwul. Sie hat es sehr positiv aufgefasst und sagte zu mir, das sie so etwas schon immer geahnt hatte.
Ich finde immer noch sehr wichtig sein Coming Out zu den Personen zu haben die einen wichtig im Leben sind und das ist nun mal die Familie. Und wir alle sind eine große Familie.