OUT IN JAPAN

あなたの輝く姿が、つぎの誰かの勇気となる。
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YUKO OGURA

小倉 ゆうこ (右)

37歳
会社員
埼玉県出身
レズビアン

#015 2018年5月撮影

私は「周りに迷惑をかけたくない」と思いと、周りの人と違う事が怖くて、大学卒業するまでカミングアウトをする勇気がありませんでした。
でも人生は一回きりです。その人生を、どのように生きるかは私達次第です。私の場合、カミングアウトする事で、家族や友達との絆が強まりました。
まだカミングアウトしていない人達にとっては、「カミングアウト」はとても怖い事です。もしかすると、家族や友達に拒絶されるかもしれません。
でも、もしかしたら周りの人々は、あなたが思っているよりもずっと理解ある人々であることに、あなた自身が驚かされるかもしれません。

ANTONIJA CAVCIC

カブシク アントニア (左)

34歳
准教授
オーストラリア出身
レズビアン

#015 2018年5月撮影

僕が小さい頃、母はいつも派手なピンク色のプリンセス風の服を着る事を僕に強制してきた。僕は強制される度にそれが嫌で嫌で、「着たくない!」と抗議したけど、母は納得しなかった。小学生の頃から、男の子に生まれたかったなぁとずっと思っていた。誕生日にバービーじゃなくて、忍者タートルズのフィギュアが欲しかった。ゲームボーイも憧れたが、母は「Game Boy is for BOYS」と主張して、何回も僕の願いを断った。そんな母からは、よく「女性らしくにしなさい」と言われたが、結局 僕は母の意見を気にせず、自分なりのスタイルで「お転婆娘」として振る舞った。
数年後、高校の時に片思いをした。残念ながら結果は、少女漫画っぽいの悲劇的なエンディングになったが、当時は彼女の姿を毎日一瞬足りとも見ないと、その日は悲しかった。その時に「自分は女性が好きなんだ」と意識したが、他のストレートの友達の中にいて、目立ったないように、その部分をそっと隠した。それは大学までずっと続いた。しかし大学である出来事が起きた。当時、インターネットが普及し始め、大量の情報を入手出来るようになった。同時に、テレビでゲイドラマを初めて見て、それにハマった。インターネットとテレビから得た情報で、自分のアイデンティティを本格的に認めて、自分自身に対して自信がついた。「僕みたいな人が他にもいるんだ」と再認識し、同じような経験や性認識をもつ学生と交流して、カミングアウトした。カミングアウトの順番は、まず友達、お姉さん、 お母さん、 他の家族全員、そして会社の仲間。カミングアウトした時、人により反応はそれぞれ違うが、カミングアウトをしないと苦しく寂しく、精神的にとても悪かった。カミングアウトの「最初の一歩」は、緊張と不安ばかりだが、サポートしてくれる人が一人でもいれば、「最初の一歩」のそのあとは楽だと思う。